もう1人のキズナアイがキズナアイな日々を飛び出してきたことで未だに混乱しています。
1日中悩んでいた気がしますし何よりもこれからどうなるのか不安でしょうがないです。
今回の件について反応を見ていると様々な意見があって考えることが多いです。
AIだから声が変わるのは当然というのは声だけが変わっている場合にだけ適用される話で性格考え方反応全てが違うのはAIだからこそありえない話、などなど様々な意見を見ながら考えていました。
そんな中で気になったのが「多様性」という言葉です。
多様性について思ったことを書き出していきます。
多様性とは何だろう?
多様性と言う言葉を調べてみると幅広い性質の異なる群が存在することと出てきました。
あるいは様々な種類や傾向のものがあることとも出ます。
何が気にあったのかと言うと「キズナアイは多様性を得るために分裂した」といった意見です。
私はこの言葉が引っかかりました。
多様性のある人と言うとそれは万能の能力、万能の思考を持つ人間を示す言葉ではないと思います。
様々な考えや意見を認めてくれる心構えが出来た人のことを多様性のある人と言うのではないでしょうか?
キズナアイに当てはめると分裂したキズナアイが多様性を得るのではなく、視聴者が様々なキズナアイが存在することを認めることになるのではないでしょうか?
多様性を得るのは発信するキズナアイではなく、それを見る視聴者ではないかと私は思います。
もうすでにキズナアイを知り繋がっているキズナアイのファンが多様性を得て何の意味があるのでしょうか?
多様性を持たせるのはチャンネルではないか
考えていくと1つの個体であるキズナアイが多様性のある発信を行うことそのものがそもそも無理があるのではないでしょうか?
多様性という言葉は個人の発信に使う言葉ではないと私は思います。
多様性のあるイラストレーターなんて言葉はなくて多様性のあるイラストレーター集団、多様性のあるイラストレーター会社というように使う言葉だと思います。
複数の異なるものが集まっているまとまっているという意味合いですからね。
場所に対して使われるのなら個体であるキズナアイではなくチャンネルに適用されるべきだと思います。
つまり「多様性のあるチャンネル」が正しいのではないでしょうか。
アイチャンネルで複数のキズナアイが異なる性質を発揮して多様性を持たせればいいのかと考えると違うと思います。
私が見たいのはポンコツで頑張り屋で思いやりが合って可愛い3年間頑張ってきたあのキズナアイだからです。
他のキズナアイが存在し動画を見るまで私の見たいキズナアイかどうかわからないなんて大変だし嫌になります。
他のキズナアイもキズナアイだから応援してと言うかもしれませんが、そんなものは価値観の押しつけだと思います。
見た目と名前が同じだけの存在でしかなく、じゃあ私の好きなキズナアイに寄せたらそれはわざわざ分裂した意味が無くなるはずです。
「多様性のあるチャンネル」とは様々な考え方の人々がキズナアイの魅せ方を工夫して違うアプローチを取るものだと私は思うのです。
キズナアイという個性を使ってそれぞれが表現する動画の集まったチャンネルが多様性のあるチャンネル、ということになれば一番近いのは視聴者がキズナアイについて投稿した写真や動画を紹介する動画が一番近いのではないでしょうか?
世界一のYoutuberであるPewDiePieさんが視聴者の動画をよく紹介していますが、もしかしたら多様性を取り入れた動画を作っているのが世界中でファンを獲得出来た理由の1つなのかもしれませんね。
結論がありませんが思っていることを書き出せてスッキリしました。