キズナアイの活動を追うことを完全に辞めて2週間以上の時間が過ぎました。
12月の忙しい日々の中でキズナーとしてキズナアイを応援していた日々がどんどんと遠ざかり、そんなこともあったなという思い出の1つになるのを感じます。
元々Youtubeを見る習慣がなかったのでバーチャルYoutuberの動画を一切見なくなったらYoutubeを開くことも少なくなりました。
毎日必ず開いていたのが嘘みたいです。
私はキズナアイのファン「キズナー」を完全に辞めて応援活動もしなくなりました。
いきなり辞めたわけでなく不安だったりネガティブな気持ちを抱えながら6月から半年見守ってきて、もう離れようと決意してキズナーを辞めました。
段階を経て辞めるというと私は医師のエリザベス・キューブラー=ロスが提唱した「死の受容のプロセス」を思い浮かべます。
辞めてからそんなに日にちが経っていないからこそ、どんな心理状態でファンを辞めたのか書ける気がしたので「死の受容のプロセス」の紹介をしながら書き記しておこうと思います。
死の受容のプロセスとは
医師のエリザベス・キューブラー=ロスが提唱した「死の受容のプロセス」 についてまずは紹介します。
亡くなりゆく患者との対話の中で 「死の受容のプロセス」 には5段階のプロセスがあることを発見しました。
wikipediaより該当部分を引用します。
第1段階 「否認」
死ぬ瞬間 (On Death and Dying) 『ウィキペディア(Wikipedia)』
患者は大きな衝撃を受け、自分が死ぬということはないはずだと否認する段階。「仮にそうだとしても、特効薬が発明されて自分は助かるのではないか」といった部分的否認の形をとる場合もある。
第2段階 「怒り」
なぜ自分がこんな目に遭うのか、死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階。
第3段階 「取引」
延命への取引である。「悪いところはすべて改めるので何とか命だけは助けてほしい」あるいは「もう数ヶ月生かしてくれればどんなことでもする」などと死なずにすむように取引を試みる。神(絶対的なもの)にすがろうとする状態。
第4段階 「抑うつ」
取引が無駄と認識し、運命に対し無力さを感じ、失望し、ひどい抑うつに襲われなにもできなくなる段階。すべてに絶望を感じ、間歇的に「部分的悲嘆」のプロセスへと移行する。
第5段階 「受容」
部分的悲嘆のプロセスと並行し、死を受容する最終段階へ入っていく。最終的に自分が死に行くことを受け入れるが、同時に一縷の希望も捨てきれない場合もある。受容段階の後半には、突然すべてを悟った解脱の境地が現れる。希望ともきっぱりと別れを告げ、安らかに死を受け入れる。
このような5段階を経て自分の死を受け入れるのが 「死の受容のプロセス」 です。
ファンを辞める心理との相関性
最初に補足しますが亡くなる対象は応援していたキズナアイではなく「キズナアイのファンだった自分」です。
その視点で5段階の受容プロセス、否認、怒り、取引、抑うつ、受容を見てみると確かに私もこの5段階の通って 「キズナアイのファンだった自分」が消えることを受け入れたような気がします。
こんなことは間違っている・上手くいくわけはないという否認や怒り、分裂してもいいけどチャンネルは分けるべきだという取引、自分の願う方向とは違う方向に進んでいくこと・キズナーではなくなってしまっていたという抑うつ、そしてもうファンであった自分が消失することを受け入れ応援を止める受容。
少なくとも私は5段階のプロセスを経てファンを辞めています。
5段階のプロセスを時間で区切ると否認、怒り、取引と抑うつ、受容に分けられると思います。
半年間という長い期間のほとんどは否認、怒り、取引の費やされ、もうどうにもならないのではないかというネガティブな感情が徐々に浸透してきて一気に抑うつ、受容へ移行した気がします。
否認、怒り、取引の期間はきっとキズナアイの分裂はいい方向に進むのではないかという希望を持っていたのでしょう。
時間が経過していく中で希望がどんどん薄れていきガクッと抑うつそしてファンである自分の消失を受容したのだと考えられます。
時間は掛かりましたが5段階のプロセスを経てファンを辞めたことで特に未練も執着もなく無関心に近い心境になれたのではないかと思います。
もしも分裂直後の6月に気味が悪い、嫌だというネガティブな感情のままファンを辞めたらどうなっていたか。
否認と怒りの段階に留まったまま忘れていくような感じになったのかなと思います。
今は5段階を経て無関心の感情になりましたが、2段階目で止まってしまっているとキズナアイの姿や名前を見た時に当時の否認と怒りの感情が蘇ってくるのではないかと想像します。
嫌いが一番近い感情なんでしょうね。
同じファンを辞めるでもすぐに辞めると嫌い、時間を掛けると無関心になるのかもしれないと今回「死の受容のプロセス」と相関性を考えて感じました。
時間の他に第3段階「取引」が重要な要素であり、キズナアイの場合には「全部受け取めるから思っていることを書いて欲しい」というツイッターにリプライを送ったかどうかがもしかしたらファンを辞めた時の心理状態に影響を与えている可能性があるなと思いました。
キズナアイの応援をしなくなりキズナーを辞めていく人がキズナアイを嫌い応援していた日々が無駄だったと思うのではなく、せめてファンであった時間をいい思い出だったと思えることを祈りたいです。