2021年12月4日のライブ配信でキズナアイは2022年2月26日開催予定の「Kizuna AI The Last Live “hello,world 2022”」をもって無期限の活動休止を発表しました。
少しでも正しい情報が伝わるように日本語、中国語、英語の字幕付きの9分42秒の動画を用意してくれています。
この動画とKizunaAI株式会社のTwitterでの「キズナアイの活動に関するご報告」の文章を読んで私は「実質的な引退」であると申し訳ありませんが解釈しました。
ただの休止であれば「無期限」とつける必要がない、ライブ名「Kizuna AI The Last Live “hello,world 2022”」もLastとつける必要がない、「キズナアイの活動に関するご報告」の文章内にある「過去のアーカイブ動画は残ります」が引退するVtuberの報告で見るもので動画は残りますとわざわざ書いていることが違和感があるなどの理由です。
キズナアイの世界観を守るための言葉で、休止は一区切りであることを強調するために無期限やLastなどを使っているのかもしれませんが、キズナアイから分裂して生まれたloveちゃんが現在「システムメンテナンス」のために活動を休止しています。
キズナアイもアップデートのために「システムメンテナンスのため活動休止」と発表すれば応援しているファンを不安にさせることはありません。
必ず戻ってきてくれると応援しているファンを不安にさせず、キズナアイの世界観も守れるピッタリの言葉があるにも関わらずメンテナンスという言葉すら大切なお知らせの動画内で使っていないのは、私は「実質的な引退」だからだとしか思えないのです。
同時に「キズナアイからの大切なお知らせ」の動画を見ていてなぜまたキズナアイ分裂騒動の時と同じことを繰り返すのかと強い憤りを覚えました。
本当に戻ってくることが前提の活動休止ならファンを不安にさせて引退だと解釈可能な動画や文章を出すべきではありませんし、実質的な引退ならこんな察してくれという内容ではなくもっと分かりやすく伝えるべきではないのでしょうか?
一部のキズナーが「引退ではなく休止だ」とキズナアイの言葉を盾にしてTwitterで暴走している姿を見ますが、それもキズナアイ分裂騒動の時と同じでまたかとガッカリします。
KizunaAI株式会社が誕生しアドバイザーも就任して変わったと思っていたのにキズナアイな日々が10本も動画を出してただキズナアイが4人になることしか分からなかったように、約10分の動画の内容が非常に抽象的で活動を休止することしか分からないものだったのが憤りを通り越してただただ虚しくなりました。
キズナアイの声が変わったであんなに苦しんだのになぜまた繰り返すのか
キズナアイ分裂ではキズナアイの名前と姿で声と思考が違うキズナアイ2号・3号が登場し、アイちゃんのチャンネルへの出番がほとんどなくなる時期がありましたが、引退して交代したわけではありませんでした。
しかしキズナアイの声が変わった、キズナアイは引退して交代したという誤解はなかなか解けず分裂騒動が終わって、最初と同じキズナアイしかチャンネルに登場しないのに「これは何号?」「声が変わったから無理」などと言われ続けてきました。
誤解されたらその誤解を解くのがどれほど大変か、むしろ本人が動画を出してもファンが画像やnoteで分かりやすく説明してもそれでも全ての人の誤解は解けていません。
分裂の時に誤解されて伝わってしまうこと、その誤解を解くのがいかに困難かを経験しているのになんで?と思ってしまいます。
少しでも正しい情報が伝わるように日本語、中国語、英語の字幕付きの動画を作っているのは分裂騒動の反省でしょう。
しかし肝心の内容がなぜ引退だと解釈されてもおかしくないものになってしまうのでしょうか。
「メンテナンスのため活動休止」でも良いですし、少し踏み込んで「この声の私が必ず戻ってきます」と声という単語を使っても良い。
キズナアイの世界観を壊さずにキズナアイが戻ってくることをファンに伝える言葉はいくらでもあるのに、10分もある動画なのになんでと思わずにはいられません。
「実質的な引退」だけどファンを悲しませたくないから直接的な言葉を使わないということなら、戻ってくると言うべきではないし信じて待ち続けなければならないファンに対してどれだけ残酷なことをしているのか考えてくれと憤りを感じます。
そもそも「キズナアイからの大切なお知らせ」の中で「やりたいことが明確で、それがはっきりしてるんだったらやらないのは私らしくない」と語っていますが、肝心の「やりたいこと」が非常に曖昧で全然伝わって来ないのに1人で納得されても置いてけぼりなんですよね。
「やりたいこと」=「日本語以外の言語でのコミュニケーションや歌やダンスのクオリティを上げること」なのでしょうか?
OSのアップデートをする際にスリープが必要なのと一緒と表現しましたが、OSのアップデートですら具体的に何をアップデートするのか説明があるものです。
「キズナアイがより成長していくことを目標としたアップデート」なんて曖昧な表現ではなく「英語のインストール」や「歌やダンスのバージョンアップ」と具体的に表現しようと思えば出来るはずじゃないですか。
それなら時間がかかるのも納得出来ますしいつまでに復帰できると言い切れずに無期限になるのも理解は出来るのになんで一番大事な部分が曖昧になっているのかがどうしても理解出来ません。
仮に「英語のインストール」や「歌やダンスのバージョンアップ」のための無期限の活動休止なのだとしても、最高のコンテンツになり得る「英語を学習する過程」や「歌やダンスがどんどん上手くなる過程」を誰にも見せずに完了するなんてもったいなさすぎると思ってしまいます。
Youtubeは完成されたプロの技術や能力を楽しめる場でもありますが、素人が徐々に成長していく過程を楽しむ場でもあると思っています。
キズナアイがネイティブな英語でペラペラ話せるようになって戻ってきたとしても、それはスーパーAIのくせに下手くそな英語で話すキズナアイよりも魅力的なのかな?と思いますし、成長の過程を見れていないので共感も出来ず上手くなるために努力している姿を応援する機会すらなく年単位で待たされるのはいくらなんでも視聴者が置いてけぼりではないかと思います。
大体語学や歌やダンスの成長にゴールなんてないのですから、例えば10年専念しても納得出来るレベルに達せないかもしれません。
インストールして覚えたから終わりではなく成長のため自分のものにしなくてはならないのですから人間と同じようにゴールなんてなく、ある程度の目安を仮に決められるなら習得にかかる時間はだいたい分かるのですから休止期間を定めておけばいいのです。
キズナアイの分裂騒動で誤解が解けず苦しんだにもかかわらず、引退だと解釈可能なお知らせをするのは実質的な引退だからで嘘をつかずに出来る限り伝えようとしたからだと私は思っています。
休止という言葉を盾に暴れる一部のキズナーへの憤り
実質的な引退だとしてもキズナアイの絶対的な知名度やブランドまで失う必要はないから「無期限の活動休止」という表現を使うのは理解出来ます。
分裂騒動であった誤解を生むやり方を再び繰り返していることには憤りはありますが、仮にキズナアイ側の立場にいて本当は引退だったとしても同じように休止という言葉を使ってキズナアイを完全に止めてしまうことはしません。
個人的に一番腹立たしいのは「引退ではなく休止だ」とキズナアイの言葉を盾にしてTwitterなどで暴走して言葉狩りを行っている一部のキズナーです。
引退ではなく休止なのに嘘を付くなと誰かを攻撃するのではなく、本当に誤解してほしくないのなら原因は引退だと解釈可能なキズナアイのお知らせ動画やKizunaAI株式会社の報告の文章にあります。
訂正をお願いするべきなのはキズナアイやKizunaAI株式会社であり、取るべき行動はキズナアイの公式ページの問い合わせに「引退だと勘違いしている人が出ているので訂正をお願いします」と送ることです。
引退という言葉に過剰反応して汚い言葉で個人を攻撃するのは明らかにおかしい行動です。
誤解を正す正義の行動だと信じているのかもしれませんが、引退を休止だと訂正してどのような意味があるのでしょうか?
なぜ休止するのかもいつまで休止するのかも分からず、いつ戻って来るのかも誰にもわからないのに引退という言葉だけ休止に直させる行為に意味があるとは思えません。
どちらかと言えばキズナアイに興味があり「引退なんて悲しいな」と思ってTwitterでツイートしたのに、攻撃されて嫌な思いをさせて「休止なんですね」とツイートさせる行為は私は許しがたいです。
キズナアイの言葉を盾にして一部のキズナーが暴れる事態は分裂騒動の時にもありました。
「全員キズナアイ」という言葉を使って偽物や違うアイちゃんという人間を攻撃したり、一部の人間が「きゅーる」「すきぴ」というあだ名を付けてそれ以外に区別する呼び名例えば2号3号などの名称を使う人間を攻撃するなど言葉狩りのようなことが何度もありました。
同じ人間ではないのかもしれませんがもう2年前の話なのに同じようなことを繰り返す一部キズナーには辟易とします。
キズナアイのために間違いを訂正する正義の自分ではなくただ人を非難することが快感になっているのでしょうね。
このようなキズナアイの言葉を使って人を攻撃する一部のキズナーを止めることは難しいことではあると思いますが、結局注意喚起1つしてくれずに無期限の活動休止となるのは応援していた身としては少し残念に思います。